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沖縄自治研究会

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第4回講座 上

第4回「道州制構想と『沖縄の自治の新たな可能性』」
国際基督教大学教授  西尾勝 氏


 皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました、国際基督教大学の西尾勝でございます。きょうは、沖縄自治研究会の自治研究講座に講師としてお招きいただきまして、大変光栄に存じております。

 今、島袋先生からお話がありましたとおり、私には「道州制構想と沖縄の自治の新たな可能性」について、きょうは絞って話をしてほしいというご依頼がありましたので、レジュメもそれに沿ったものに作られております。

 島袋先生からは、この『自治基本条例、市町村モデル条例と解説』の冊子と、その審議の過程の詳細な記録になっている別の冊子と、2冊お送りいただきましたので、いずれも一通り目を通させていただきました。

 これまで研究会がなさってきたことは、自治基本条例の市町村モデル条例を策定されるという仕事であった。この点につきましては、私自身も、私が今奉職しております大学が所在している東京都三鷹市のほうで、自治基本条例をつくろうという話が進んでおりまして、それを目指した懇談会のようなものが市役所で設置されているのですけれども、私はその座長を務めまして、三鷹市の自治基本条例のたたき台のようなものを作成するという作業をここ1年ほどやってまいりました。これから市側がこれを条例案の形につくり直し、市議会に提出をしていくという段階に入っているのであります。

 したがって、市町村レベルの自治基本条例の問題についても、それなりに関心は持っておりますけれども、この研究会の次なるテーマは、沖縄の県レベルの基本法、または基本条例のモデル構築という作業だというふうに伺っておりますので、きょうはその都道府県以上の広域自治体レベルの話に焦点を絞りたいと思っております。

 そういうことで申しますと、第27次地方制度調査会の最終答申の中で示されている方策としては、都道府県の合併構想と、それから道州制への移行構想という二つの構想が並立的に並べられているのであります。この両者は非常に密接に関連していると私は考えておりますので、その双方を対象にいたしまして、「沖縄の自治の新たな可能性」との関係について、私が考えていることをきょうはお話し申し上げたいと考えております。

 さて、そこで、道州制構想から言えば、少し迂遠な話だと思われるかもしれませんけれども、最初に都道府県の廃置分合の手続き。この廃置分合というのは地方自治法が使っている難しい言葉でありますけれども、合併というのもこの廃置分合の中の一環でありますが、合併も含めた廃置分合の手続きが、戦前はどうなっていたか、そして戦後の現在の地方自治法ではどうなっているか、それをどういうふうに変えるべきだと第27次地方制度調査会は言ったのかという話から申し上げたいと思います。

 少し学問的な話になって恐縮でありますが、戦前の日本の地方制度において、自治体の区域というものがどういうふうにして決定されていたかということから振り返ってみましょう。

 市町村は、明治の市制町村制のときから、自治体として設立されたものであります。そのときにこの自治体としての市町村の区域につきましては、従前からの慣習、旧慣という言葉を使いましたが、旧慣をできるだけ尊重いたしまして、従前の市町村の区域を、既に明治政府が何か手を付ける以前から存在していた自然村の区域を、そのまま自治体としての市町村の区域とすると同時に、この区域をそのまま国の地方行政区画としての市町村の区域にもするという方式がとられました。非常に複雑なことを言っているのですが、自治体の区域という問題と国の地方行政区画としての区域という、二つの性質の異なる問題がありまして、それをどういうふうに組み立てるかというときに、市町村についてはまず自治体として、この範囲で自治体をつくろうということが決められた。その上で、国がそれを利用するときはその区域をそのまま国の地方行政区画として使いますよ、という方式がとられたということなのであります。

 ところが、この市制町村制と併せて、郡制、府県制というものが同時に制定されたわけでありますけれども、戦前に存在した郡あるいは府県の区域の場合は、決め方が全く逆になっていたのです。郡、府県は、まず国の地方行政区画であるとしまして、国のほうで郡と府県の区域を勅令で定めた。当初のときは勅令だったのです。まだ帝国議会が開設される以前の話でありますから、そのときにこういう制度をつくったわけでありますから、帝国議会が制定した法律というのはまだなかった時代ですね。そこで天皇が発する勅令という形式で、これを決めたわけであります。

 そして、その上で、この国が決めた地方行政区画に合わせて、郡という自治体もつくる、府県という自治体もつくるという決め方がなされたということです。

 市制町村制の方も当初は勅令であったのですが、帝国議会が開設されて以来は、この市制町村制の改正はすべて帝国議会で審議をされ改正されましたので、事実上これは法律に変わったのです、市制町村制のほうは法律に変わった。郡制という自治体の制度も、府県制という自治体の制度も、これは最初は勅令で決められましたが、後は帝国議会の法律として扱われるようになったのです。

 しかし、そうなったときも、府県と郡の区域はまずどこが決めているかといったならば、帝国議会の法律ではなくて、勅令、現在でいえば政令にあたるものでありますが、勅令で国のほうが勝手に決めている。その国が決めた地方行政区画に、ついでに自治体もつくろうという、こういう方式なのです。そこで郡という単位に郡役所がつくられ、一定の自治も認められた。府県についても、国の行政の総合出先機関としての県庁とは別に、府県会が設置されまして、一定の限られた自治権が認められた。

 ですから、戦前の府県や郡は、基本的には国の出先機関でありまして、そこに若干ながら自治が付け加わっているという不完全自治体であったということになります。したがって、完全自治体であった市町村の場合には、市町村長は市町村会が間接的に選挙するという住民の代表になっていたのですけれども、ご承知のように、郡長や府県知事は内務省の官僚が官選で内務省で任命され、地方に派遣されてくるという形式で、長は住民が選ぶものではなかったということは、ご存知のとおりであります。

 さて、戦前はそういう決め方になっていました。都道府県も完全自治体に変えるというのが戦後の改革の地方自治制度関係の最大の焦点だったわけです。併せて、都道府県知事も直接公選に変える。市町村長も間接公選であったものを直接公選に変えるというのが戦後の自治制度の大きな眼目であったわけでありますが、果たして本当に都道府県は完全自治体に変えられていたのだろうかということであります。そこが実はそうではなかったのではないかというのが、これからお話しすることであります。

 戦後の地方自治制度における廃置分合手続きはどのように決められたかと申しますと、市町村の廃置分合については、ここでは話を簡単にして合併に限りますが、市町村の合併につきましては、皆さん今議論をし、現実にあちこちで合併が起こっておりますから、皆さんご承知のとおりだと思いますけれども、関係市町村でまず協議会をつくって、合併の構想をいろいろとにつめる。そこで一応の合意ができましたら、それぞれの市町村に持って帰りまして、関係市町村すべての議会でこれが合併を可とするという可決がなされますと、都道府県知事にこれを申請いたしまして、都道府県知事は都道府県議会の議決を経た上で、これを承認する。ここまでいくと合併が成立するという、こういう手続きになっているのであります。

 ところが、もう今は戦前と違いますから、郡というのはなくなって、広域自治体としては都道府県だけになっているわけですが、都道府県の廃置分合についてはどうなっているかといいますと、都道府県の合併を含む廃置分合については、法律で定めると地方自治法には書かれているのであります。国の国会が決めると書いてあります。国会にそういう議案を出せるのは、内閣かそうでなければ議員立法しかないわけでありまして、関係都道府県が国会に我々の合併を認めてくださいと言い出す手続きはないのです。つまり、自治体側にはイニシアチブを発揮する余地が全く認められていないのであります。

 そしてまた、もし国会が、幾つかの都道府県を合併するというような、例えば大阪府と奈良県と和歌山県を合併しようというような法律案を可決したといたしますと、この法律は憲法の第95条に定められている地方自治特別法にあたると考えられてきました。そして、どう考えてもそう考えざるを得ないであろうと思われます。そうしますと、これは国会が議決しただけでは合併は成立いたしませんで、関係の都道府県の住民の住民投票に付されることになります。そして、住民投票で可決されたとき、全関係府県の住民投票で可決されたときに、はじめてこの合併は成立する、この法律が成立し、したがって合併が成立するということになります。

 そこで、このことが都道府県の合併をしにくくさせているのではないかということが、過去に問題になったことがあります。今も例に挙げました、大阪府と奈良県と和歌山県を合併しようかという話が地元の一部で盛んに議論されていた時代があります。関西経済連合会等が、それが好ましいのではないかといい、和歌山県が積極的であったり、大阪市が積極的であったりいたしまして、これに対して大阪府が強く反対をしていた。奈良県が中立的な立場をとっていたとか、いろいろな複雑な事情があるのですが、当時、かなり真剣に地元で議論された問題であります。

 このとき、国の側は、この阪奈和合併を促進するという目的で、この合併をしやすくしようという配慮から、府県合併特例法案というものを当時の自治省が立案をいたしまして、これを国会に提出したのであります。この法案は何度も国会に出され、その都度廃案となりまして、結局、当時の自治省はこれをあきらめまして、成立しなかった法律でありますが、そういう法律を制定しようと当時の政府はしていたのであります。

 そのとき、この府県合併特例法案ではどういう手続きが盛り込まれていたかと言いますと、市町村合併の手続きに準じて、都道府県が合併する場合にも、関係都道府県議会が可決をしたならば、そこで内閣総理大臣に申請をし、この申請を受けた内閣総理大臣は、これを国会の審議に付して、国会も賛成の議決をしてくれたならばこの関係府県の合併を承認するという、こういう手続きでいいのではないかという案が盛り込まれていたのであります。

 そのときの意図は、この地方自治特別法の住民投票手続きを回避しようと、これを避けようと、そうすることが合併をしやすくする道なのではないかという配慮から、こういう案が提出されていたのであります。

 今回の第27次地方制度調査会答申では、関係府県のイニシアチブで合併の発議を可能にするために、現在の地方自治法を改正いたしまして、都道府県が合併をする際にも、市町村合併に準じた手続きに改めるほうがいいのではないかという提言をしております。

 市町村合併に準じるということですから、過去の府県合併特例法案に盛り込まれていたのと同じように、関係都道府県の議会が議決をし、そして、内閣総理大臣に申請をし、内閣総理大臣は国会の議決を経て、これを承認するという、そういう手続きでいいのではないかという考え方であります。つまり、国会で特別な合併法という法律をつくるという形式をとらないということであります。したがって、憲法第95条の地方自治特別法にあたるものも何ら生じないということになります。したがって、住民投票も必要ではないということになります。

 ただ、念のために申し上げておきますが、第27次地方制度調査会がこういう提言をした趣旨は、この住民投票を避けようということに狙いがあったのではありません。そういう狙いから、こういう手続きを提言しているのでは全くありません。都道府県は、市町村と同じく完全自治体ならば、その合併、もっと広く言えば廃置分合、あるいはさらに広げれば境界変更まで含めて、自治体である市町村と同様の扱いを受けてしかるべき団体なのではないか。これは国の地方総合出先機関でもないし、国の地方行政区画でもないのです。本来、自治体なのだ。戦後、そう変わっているはずなのだと。そうであれば、その廃置分合の手続きも市町村と同じであるのが正しいのではないかという、そういう考え方に立っているということなのです。

 住民投票を、することがいいかどうかという問題は別問題でありまして、もしも市町村合併をする際に、関係議会が、関係市町村の議会が議決しただけでは足りなくて、これは自治体の基本を決める話ですから、それでは十分ではない、有権者である地域住民の投票にかけて、住民が賛成といったときにのみ合併は成り立つこととすべきで、必ずそういう手続きを踏みなさいという制度に現になっているのならば、都道府県も同じようにしたらいいのではないかと考えます。

 しかし、市町村合併については、現在のところ、まだそういう考え方はとられていない。これについてはいろいろ意見がありまして、私は、本来は住民投票にかけるべき事柄だと考え、そのように主張してきましたが、多くの人はそうは考えない。少なくとも政府与党の関係者は、そんなことをしたら合併は進まないのではないかと危惧しておられる。だから、やりたくないと思っていらっしゃるのです。あるいは、町村議会議長会を初めとして地方の議会関係者にも、それでは議会の権能はなくなって、存在価値はなくなってしまうような話なので、何でもかんでも住民投票にもっていくというのはよろしくないというお考えの方々が多いのでありまして、その方たちが反対するから、市町村合併のときに住民投票は不可欠の手続きとはなっていないのです。

 それでは困ると言って、自分で条例をつくって諮問的な住民投票をするところが増えてきて、最近でもう110幾つの市町村で住民投票がいろいろな形で行われているということはご存知のとおりでありますが、国の制度としては取り入れられていないわけであります。もし、基礎的自治体である市町村の合併について、住民投票は要らないということならば、都道府県にだけそれを要求するのもおかしいのではないかというふうに考えまして、住民投票という制度を外しているだけのことです。

 住民投票を避けるために、こういう提言をしているのではない。過去の府県合併特例法のときは、まさにそれが狙いで、そういう手続きが提案されていたのですが、我々が今回提言しているのは、そうではなくて、都道府県を自治体らしい自治体にしていくためには、市町村と同じように扱わなければいけないのではないか。それが本来の筋なのではないか。戦後改革のときに、うっかりその改正をせずに残してしまっただけなのではないか。戦前は、都道府県の区域は当初は勅令で、後には法律で決めていた。そこで、戦後は、この戦前の制度をそのまま変更せずに継承して、これを法律で定めるとした。これは、国の関係者の意識の中では、都道府県というのは依然として国の真下にある地域であり、かつまた国の総合出先機関であるという観念がずっと続いていたためではないかと思うのです。したがって、市町村と同様には扱えないと考えていたのではないかと思われるのです。

 現在の総務省、旧自治省の関係者たちは、戦前の制度がそのまま残っていたのだ、我々が本来改正すべきものをうっかり改正し忘れて、こういうことになっているのだなどとは誰も解説いたしません。どういうふうに解説しているかといえば、都道府県は国の真下につくられる団体で、「国のかたち」に密接に関連しているので国として無関心でいられる事柄ではない。都道府県がどうなるかということは、「国のかたち」にダイレクトに影響する重要事項である。市町村はもっと下のほうにあることで、国には直接波及をしてこない。どうやろうと、そんなに波及はしてこない。しかし、都道府県制がどうなるかということは、もう「国のかたち」にダイレクトに影響する話なので、やっぱり国会の法律で決めるべき事柄ではないかと、そういう説明になっているのです。

 しかし、そうでしょうかというのが私の意見です。都道府県は完全自治体だなどといってきたけれども、実は実態は国の総合出先機関だという観念が営々として国の側に残り続けていた。したがって、戦前の制度を変えずにそのまま戦後も継承していたということのあらわれでしょうというのが私の解釈であります。

 実際、私が地方分権推進委員会でかかわり、実現いたしました、いわゆる地方分権一括法に結実をした第1次分権改革で、従来の機関委任事務制度が全面廃止されたのですけれども、これが廃止される以前は、普通の言い方として、都道府県で担当している事務の中で、機関委任事務、国の事務であると言われている事務が占めている比率は7割から8割と通称されていました。市町村の場合になりますと、これが3割から4割だというふうに言われていました。もちろんこの7割、8割とか、3割、4割などと数える根拠は何らありませんので、科学的な根拠など全くない、県庁職員たちの感覚から言えばそういう感じだというにすぎないのでありまして、あまり確かな数字でも何でもないのですけど、そうずっと言われ続けてきたのです。

 ただ、重要なことは、都道府県が担当していた仕事の7割から8割というふうに感じられるくらい、4分の3近くのものは国の事務だったのです。県というのは何をやっているところかといえば、7割方国の仕事を下請けしているのです。残りの3割方が自治体としての県の仕事をしている。そういう存在だったのです。どこの県もそういう存在だったのであります。市町村になると、さすがに過半の仕事は自治体としての市町村の仕事になっていて、そこにさらに国から、この国の仕事を国にかわってやりなさいといってやらされていたものが3割から4割ほどまだあったという、こういう感じなのですけど、県は大半の仕事が国の仕事だったのであります。

 したがって、国から言えば、無関心でいられるはずがありません。国がこれをやろうと思っていることを、まず担わせている一番重要な機関でありますから、この都道府県制度というものに無関心でいられるはずがなかったのです。

 その機関委任事務制度が実態として残っていた間は、依然として都道府県の廃置分合は国の法律で定めるとしていても、それにはそれなりの合理性があったのかもしれない。しかし、その機関委任事務制度は全面廃止されまして、今では都道府県の事務の中に国の事務というのはなくなっているのです。市町村については言うまでもありませんが、都道府県も従来からやってきた機関委任事務は、すべて自治事務か法定受託事務という新しい類型に区分けされた。法定受託事務であっても、あくまでも「地方公共団体の事務」であると地方自治法に明記されているのでありまして、国の事務をかわって執行するのではないということに切り替えられたのであります。

 そうすると、もはや都道府県は国の出先機関では全くなくなったはずなのです。そうだとしたときに、なお都道府県の廃置分合はなぜ国の法律で決めなければいけないのかという問題が残っているのです。

 私、個人にすれば、実は地方分権推進委員会で、機関委任事務制度の全面廃止の議論をして、いろいろとその関連のことを全部整理したつもりだったのですが、この点を、私は見落としていたのです。正直に申し上げますが。そのときにはこのことに気づいていなかったのです。そのときに気づいていたら、そのときにこれを改めるべきだと言っていたはずでありますが、私も気づいていなかったのです。

 そして、機関委任事務制度があるがために残っている制度を、一応、全部整理したつもりでいたのですけれども、改めて市町村合併が大問題になり、市町村合併がある程度進行したら、必ずや都道府県の再編制論議になるであろうということを考え始めて、一生懸命また、再びいろいろ考え出したときに、この制度にハタとぶつかりまして、一体なぜ都道府県の廃置分合だけが国の法律になっているのだろうというふうに考えた。

 考えてみれば、戦前の制度がそのまま残っているのではないかというふうに私は考えるようになったのであります。したがって、この機会にこれだけは何とか直しておかないといけない。本当は戦後改革の時点のときに変えておくべきことだったのだと、一日も早くこれを変えておくことが重要なのではないかと考えて、今回の地方制度調査会の提言の中に盛り込んでいただいたのであります。

 私は、従来のような府県合併特例法というようなものをつくってやるのではなくて、制度の根幹の考え方を変えるのであるから、地方自治法に定められている本則そのものを改正すべきであるというふうに、強く主張してきたのであります。

 地方制度調査会の最終答申は、それ以上細かなことをも何も書いていないのですけれども、総務省当局は、現在でも地方自治法の本則にある「都道府県の廃置分合は法律で定める」という条文は、これからも廃止せずにそのまま残しておきたいと考えているようであります。そして、その横に、ちょっと今、何条だったか失念しているのですが、その条文の次に何条の2というようなのを新しく起こして、府県が合併をするときには、こういう手続きで合併ができますよという新しい条文を付け加えて、地方制度調査会の答申に応えようと考えている。

 なぜ、そんなややこしいことをするのか。この本則である法律で定めるという条文を削除してしまわないのか、別の全く新しい条文に書き換えないのかといいますと、これは沖縄県には直接関係ないことなのですが、実は、都制度というものが深くこれに関連しています。これもその後、私が勉強して気づいたことです。

 東京都という特殊な制度があるわけです。今は東京にしか適用されていませんが、制度としては一般的な制度という建前になっていますから、例えば、大阪府と大阪市を都制に切り換えて、大阪都にするという可能性も残っている制度であります。

 この東京都という制度は非常に特殊な制度で、かつて東京府と東京市があったときの、その東京市と東京府を併合しまして、新しい東京都というものをつくった。旧東京市であった部分は、現在で言えば23の特別区というものが置かれていますが、市というものは存在しないわけです。23区が存在している区域については、東京都庁は東京府としての仕事と同時に、東京市としての仕事まで都庁が持っているのです。それ以外の仕事を特別区が分担していく。こういう関係になっているわけです。市の権限の一部を府のほうへ吸い上げてしまったというのが都制です。こういう特殊な制度は現在、東京にのみ適用されているわけですけれども。

 ここで、東京都と埼玉県と神奈川県と千葉県、いわゆる大東京圏を形成している一都三県の合併というような話が起こったとします。そのとき、合併には、市町村合併もそうですが、対等合併で行うやり方と、編入合併をするやり方があります。都道府県の場合にも両方があり得るわけです。そのとき、東京都が神奈川県、埼玉県、千葉県を編入をして、東京都が拡大をするのですという編入合併をするのならば、都制は続きます。23区について特殊な制度をとっているというこの制度はそのまま続きます。しかし、一都三県が対等合併をするときには、この都制度を維持することは不可能になります。それはあり得ないという話になっているのです、現在の地方自治法の決め方から言えば。

 そこで、この東京都が絡んだ合併話が将来起こってきたときには、これは国の法律で定めざるを得ないのではないかというふうに総務省は考えているということです。ですから、この「都道府県の廃置分合は法律で定める」という条文を消してしまうわけにはいかない。これを消そうと思ったら、東京都に関する特殊な扱い方を、全面的に見直して、いろいろな制度を全部切り換えないと、この条文を削除することができないということなのです。そこはやっかいなややこしい話になるので、そのままにしておこうと。ほかの府県が合併をするときの話に限定をして、新しい条文を起こしておこうというのが、現在、総務省の事務当局が考えている案ということになっているのであります。それほどこれは、調べていけばいくほど、ややこしい話になっているということをまず頭に入れていただきたいと思います。

 さて、そこで、都道府県については、さしあたりそういう合併の手続きを改めまして、万が一都道府県の中から自発的に、どこどこと合併をしたいのだけれどもという話が出てきて、その協議が整うようならば、市町村合併の場合と同じように自主合併がやりやすいように制度を変えておこう、それだけはさしあたりやっておくべきことではないかということであります。

 これで市町村合併の場合と同様の、国が合併のパターンを示して、どんどん全国的に都道府県合併を進めようなどということを今のところ考えているわけでは全くありません。しかし、北東北3県、青森県、秋田県、岩手県の3県の間では、いずれ3県統合しようかというような話がある。そして、さらには東北州というようなものに、道州制を展望していこうというような動きがある。そのとき北東北3県が合併をしたいというのなら、どうぞ合併をなさったらどうですかということをしやすくしておくために、こういう手続きの改正だけはしておこうという、こういう趣旨であります。

 しかし実は、それのみに留まる話ではなくて、これが次の道州制構想と密接に絡んでいる論点になってくるのであります。

 そこで、レジュメの2枚目になりますが、道州制構想の主要な論点というところに移ることにいたします。

 道州制という構想は、戦前から実はあった構想でありまして、戦後も何度となく様々な団体から提言をされている構想であります。しかも、戦前の道州制とか、昭和30年代の当初に出てきた道州制案とか、その後も関西経済連合会とか、東京の経団連とかいうようなところから提言された、経済界から提言された道州制案とか、様々なものがございまして、いずれも道州制という共通の言葉は使っておりますが、その中身は種々雑多でありまして、いろいろであります。

 そこで、道州制は何かと言われても、一義的にこういうものだと答えることは不可能なことになっているのであります。しかし、たくさんこれまでに出てきた道州制構想をもし区分けするとすれば、基本的な軸は二つの軸ではないかというふうに思われます。一つは、新しくつくられる道なり州なりが国の地方行政庁なのか、それとも今までの市町村、都道府県と同様の地方公共団体なのかという、この団体の性格づけの問題であります。つまり、これが国の地方行政庁であるのならば、いわば官治団体ということになります。地方公共団体だということになれば、自治団体だということになります。どちらの道州を念頭に置いて提言しているのか、ここが基本的な分かれ目です。

 戦前の道州制は、言うまでもなく地方行政庁としての、官治団体としての道州制でありました。そして、昭和30年代に当時の地方制度調査会で論議された道州制も、官治団体でありました。

 それに対して、その後、いろいろなところから提言されているものは、一応、地方公共団体だということを前提にしたものが比較的多くなっている。自治団体という構想になっているものが多くなっているというふうに言えるかと思います。

 さて、もう一つ大きな問題は、この都道府県を越えた地方ブロック単位に、新しい道なり州なりが置かれるというときに、従来の47都道府県の廃止が前提になっているのか、それとも都道府県は引き続き存置されるのか、ここがもう一つの大きな分かれ目になってきている。

 廃止ということになれば、市町村の上にというか、より広い区域を管轄する道州というものがあって、その上にさらに広い区域を管轄する国があるという三層制になる。しかし、都道府県が引き続き存置されるということになれば、まず基礎的自治体として市町村があり、その次に第一次広域的自治体として都道府県があり、第二次広域的自治体として道州があるというような構造になるということです。国まで入れれば、四層になるということであります。

 どちらの考えに立っているのかということで、いろいろな案が区分けができる。これを縦軸、横軸組み合わせたりすると、大体、従来の様々の道州制構想を四つの分類に分けることが可能になるということであります。もっと細かなことを言えば、いろいろなことが違っている構想がたくさん過去に出てきているのであります。

 そこで、第27次地方制度調査会では、我々が将来あり得る一つの姿として考える道州制というものは、どういう道州制なのかということをできるだけ明確にしておくことが必要なのではないかと考えまして、道州制の骨格、地方制度調査会が考える骨格というものを示しているわけであります。

 これによれば、都道府県に代わる広域自治体にすべきであるということが提言されている。道州が担当する事務権限は、従来、都道府県が担っていた事務権限のうちの中で、市町村でもできるものは極力この機会に市町村に移譲してしまう。基礎的自治主体としての市町村の自治権をさらに強化する。でも、それでも都道府県の事務のすべてが移譲されるということは考えられないことでありまして、たくさんの仕事が依然として都道府県レベルに残るだろう。その残った都道府県の仕事と、それと新たに、これまでは国の各省の地方出先機関が担当してきたような仕事、国土交通省の出先としての地域整備局がしている仕事とか、農水省の出先としての地方農政局が担当している仕事、経済産業省の地方出先機関としての地方経済産業局が担当しているもの等々、こうした国のブロック単位に置かれる出先機関や、都道府県レベルに設置されている出先機関というものがあります。これら国の各省庁の地方出先機関が担当していたような国の仕事から、これは新しい自治体としての道州に譲ってもいいのではないかというものを極力移譲させまして、従来から都道府県庁でやっていた仕事の残りと、それから新たに国からおりてくる仕事と、これを担当するのが道州ですという性格づけをしている。

 これが基本でありますが、都道府県に代わる広域自治体であると言っているわけですから、何よりも官治団体としての道州は考えていません。国の地方行政庁としての道州などというものを一切考えてはおりませんということをまず言っているのでありますが、しかし、もっと別の角度から言いますと、連邦制国家への移行構想は否定しているということにもなります。

 世の中の様々な分権論議の中では、次は道州制だという議論もありますけれども、もっと徹底して、日本の国をアメリカやドイツやロシアやカナダ、あるいはオーストラリアのような連邦制国家に変えるべきではないか。そうすれば、国から州への分権はより徹底した姿に、もっと徹底した姿になるはずだといって、連邦制を唱えておられる方々がいらっしゃるのであります。全体の中ではまだ数少ない議論だと思いますが、そういう主張者の方々もいらっしゃる。そして、野党第一党である民主党の政策綱領、あるいは今回の選挙に対して出てきたマニュフェストとか、それに付属する裏の文書とかいうものをご覧になると、「連邦制的な道州制」などという言葉が使われていたりする。このときの「連邦制的な」というのはどういう意味なのかよく分かりませんが、限りなく連邦制に近いという意味なのでしょうか。よく分かりませんが、連邦制へ何らかのあこがれを持っているという姿はよくあらわれているわけです。

 しかし、本当に日本の国を連邦制国家に変えるというだけの条件基盤がこの国にあるだろうか。それだけ各地域が強烈なアイデンティティと独自の歴史をもっていて、そして、それぞれが強く自治権を主張するというような国だろうか。本当に日本国民が平均的にそういう感覚でいるだろうか。

 最も徹底した連邦制をとっているのはアメリカ合衆国の場合でありますが、連邦制もいろいろでありますから一概には言えないのですけれども、アメリカの合衆国の連邦制ほど徹底したところまでいけば、民法、刑法というような基本的な法律も、各州が定めるのです。アメリカ合衆国民法とか、アメリカ合衆国刑法などというものは存在しないのです。ニューヨーク州民法があり、カリフォルニア州民法がある。ニューヨーク州刑法があり、カリフォルニア州刑法がある。それぞれ50の州が独自に民法・刑法を制定しているのです。したがって、アメリカの場合には、あることがある州では犯罪になるけれども、よその州に行くと犯罪にはならないというものがあったり、ある州では離婚が許されないというケースが、ほかの州に行けば離婚が認められるというような違いがあるのです。そういう基本から、州の権限なのだというのが徹底した連邦制であります。

 しかし、日本で多くの国民の感覚として、家族法、親族法から始まって、各地域自由に決めさせてという感覚が日本国民にあるかどうか。刑法も州ごとに違っていいのではないかという感覚があるだろうか。私はそこまでの感覚はないのではないかと思います。

 連邦制国家を支えるだけの歴史的な条件は、我が国の場合には欠けていると思いますので、連邦国家を構成する一つ一つの州をつくろうとしているのではありません。都道府県に代わる広域的自治体と言っているのでありまして、連邦制国家を支える州であれば、それはそれ自身が小さな国家なのです。ですから、連邦制国家を構成している州は、それぞれ先ほど民法・刑法の話からしましたが、憲法をみんな持つのです、各州は。そして、裁判所、司法権も持つのです。当然ながら、民法、刑法からはじまる様々な立法権も州が持つのです。

 そういう道州というものを考えているわけではありません。あくまでも、単一主権国家としての日本国というものの中に設けられる自治体として、道州というものを考えているというのが大前提になっているのであります。
 さて、官治か自治かの問題のほかに、都道府県を廃止するのか残すのかというもう一つの大きな論点があるのでありますが、今回の第27次地方制度調査会の答申は、「都道府県に代わる」といっているのですから、都道府県をなくして新しく道州をつくるということが前提になっているということです。つまり、都道府県の廃止案になっている。道州を設けるときはその管内の都道府県はなくすということが前提になっているということです。

 調査会の答申はそうなのですけれども、私が調査会の中で主張したのは、基本的にはそれでいいと私も思っているのだけれども、今の都道府県制から道州制に移行していく、移り変わっていくというときに、初めからいきなり、すべて都道府県を廃止するということが果たして可能だろうか。あるいは望ましいだろうか。そういうことをしたほうが望ましいケースもあるかもしれないけれども、都道府県を引き続き残していったほうが、移り変わりの経過措置としてはそのほうがやりやすいという場合も、幾らもあるのではないかという気が依然として消えないということを申したのでありまして、したがって、最終的な目標として、道州制を完成したときには、都道府県をなくすということ、それを究極目標にするということに、私は反対ではないけれども、しかし、一定期間なのか当分の間なのか分かりませんが、道州のもとに依然として都道府県を残しておくという余地も認めておく必要があるのではないかというのが、私個人の意見でありました。

 しかし、調査会の多くの人々の賛成は得られず、そういう文言は最後の答申には一切書かれていない。「都道府県に代わる」という表現になっているということです。

 都道府県に代えて新しい道州ができた場合に、恐らく現在でも、都道府県の下に様々な地域振興局が設置されたり、郡単位に様々な県事務所が設けられたりしているのと同じように、新しい道州ができたときに、従来の都道府県区域単位に新しい道州の出先機関が設置されるというようなことは当然考えられるでしょう。恐らくそうなるでしょう。さらにもっと強めれば、北海道でとられている支庁制度、北海道に独特の制度ですけど、あそこには中に県がないものですから、支庁というものが置かれていますが。そういうような支庁制度が都道府県単位につくられるかもしれない。それで事が全部おさまるのならば、都道府県は廃止されると言っていいのですけれども、小さいながらに依然として自治体としての都道府県を、もう少し中間に残しておいたほうが好都合だというケースもあるのではないだろうか。それを全面的に否定してしまう必要はないのではないかというのが、私の個人的な意見であります。


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